そもそも、意思決定は「ゆらぐ」ものだ。ソーシャルワーカーはクライエントのゆらぎを肯定し、寄り添う支援を行わなければならない。
前回の面談内容と異なる決定をするクライエントもいる。退院支援の面談場面で、前回は家に帰ると言っていたが、今は帰らないと言う。合意を得るためには、さらに時間がかかることもしばしばだ。しかし、ソーシャルワーカーは、自己を覚知しているから、「おいおい前と違うぞ」と自分の反応を認識しながらも、そのゆらぎに寄り添うことができる。つまり、自らの情緒を統制しているから、クライエントのゆらぎをきちんと受容できるのだ。
このように私たちソーシャルワーカーは、対人援助職としてのノウハウを持っており、寄り添う支援を具体に実践することができる。
バイスティックの原則が60年以上たった今も、光り輝いている。日々のケースワークに忙殺されてしまうが、私たちは、原則に照らし合わせる時間を設けた方が良い。
一方で、クライエントにとって、現在の医療制度を含む現状は、勉強会の中でも触れられたように、いよいよ、ゆらぎを許してくれなくなってきている。
だからこそ、事前の準備や予防啓発が大切になる。医師会と市役所が作成したリーフレット「最後まで自分らしく生きるために」(第128回勉強会配布)などは、文面を読むとまさに普及啓発の一環だ。
市民向けなどのメゾレベルへのアプローチがますます重要になる。日々のケースワークを実践しながら、ゆらぎに寄り添う支援の一環として、予防啓発などの分野でソーシャルワーカーのさらなる活躍を広げていくことが期待されている。自分でできることは何か、常に考えていきたい。
最後に、包括における在宅での死を考えると、セルフネグレクトに代表される支援拒否の方々の在宅死をどうしても考えてしまう。
アウトリーチしている現場から、かれらの死について、考えてみたい。
かれらは、人間関係を自ら断っていることが多い。家庭も社会的にもつながりがほとんどないから、神山氏が話していた死によって生じる「乱れ」が生まれない現実がある。
一人で自宅で亡くなることを「孤独死だ」とマスメディアは報じているが、私はこの言葉が、好きではない。本人が意思決定した生活スタイルを、まわりの価値観でレッテルを張ることはやめた方がいいと思っている。
しかし、セルフネグレクトのクライエントはどうか。
かれらが持つ何らかの生きづらさによって、意思決定の質が悪ければどうか。
かれらがパワーレスの状態であるのに、本人の意思決定だからと私たちは、はたして言えるのだろうか。
セルフネグレクトの在宅死は、どうしても「孤独死」だと言わざるを得ないのではないかと思う。
逆説的だが、セルフネグレクトのかれらの「死の乱れ」を生み出せるかどうか。社会とのつながりの再構築ができるように、あきらめずにアプローチしていきたい。
そのように考えると、だからこそ、講義にあった神山氏の看取りや西川氏の身上保護という大切な意思決定に関わることができていること自体、素晴らしいことなのだ。という考えに至る。
悩みは尽きない。だけど対人援助職として、ソーシャルワーカーであるみなさんは、日々の援助に「誇りを持って、堂々と」展開していくべきだと思う。
(終わり)
